バイアスがかかっても、信念を曲げるな。と、上司が自分の部下に言ってた。正しいことをした人にかける言葉としてはよくある言葉だけど、あまり正しいとは思えない行動をした今回でも、それを言った上司をすごく尊敬した。部下のキャパオーバーした現状と、昂ぶった感情と正当性を諭すようなテンポだった。○○して当然、と自分の正しさを主張することは、時に傲慢な怒りを生む。自分は間違っているのかもと少し思うだけでいい。今回はそれが少し欠けていたようにも思う。けれど、自分にかかった負荷は、どうしても僅かでも下に流れてしまうのもわかる。ある種仕方ないとも思うし、もっとデリケートに扱う意識も欲しい。だからこそ響いた言葉なのかも。そういうスタイルならずっとそれで貫け、お前がそう思うならな、というような、上司の優しさのような叱咤。

なんで、「悲しい」の一言のために、こんな、回りくどい方法で。
言葉があっても言えないこともあるけど、言葉があるからこうやってぼかして、何とか外面を保ちながらも生きながらえようとすることも。
他人の残酷さがお腹に響いてる。ダイレクトに目頭や鼻にこないのが、その深度を語っているように思うよ。
試金石の日々は終わりにしようって誓った16,7の頃から、何も変わってないんじゃないか?摩耗していく。

ほの暗いところで、確かに共鳴している気がする。

Deep River

Deep River

幸せになろう、なんて相反していく自分に言い聞かせるみたいで。
他人の、すごく共感させられた作品を出した時の年齢と、自分の年齢を比べて到達度をはかることがよくある。19,20の時の一枚を、21,22の私が聞いて、まさに今のことだと思ったし、なんて早熟なんだ、と驚いた。
こういうケースは多々あって、いつだって私より少し若い。私の環境の構築が年齢のわりに下手なのか、向こう側があまりに早熟すぎるのか。面白い。

ライク・サムワン・イン・ラブ、カンヌの時に少し観たくなったけど、日本人監督なら多分観たくもならなかった部類。でも予告編少し見たら、少しだけみたくなった。話、大判女性コミックスみたいだね。そういうのはもういい気もしてる。

薄っぺらい?話題の『サブカル女』とは - NAVER まとめ
今日、人に薄っぺらいサブカル女子の概要を説明した時、つらつらと特徴をあげていくほど、自分も大差ないのではと前々から思っていたことが急に迫ってきて笑えた。
一部のあのどうしようもなさは、サブカルチャーで自尊心を助けるための、有効な武器のように振り回すところからだと思うけど。それは自分にないと思いたい。

最近のペラペラサブカル女子は、クリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズやアベンジャーズを観て、PLAZA等の輸入雑貨店でアメコミグッズやTシャツを漁って、満足そうに身につけて街を闊歩してる。楽しそうで良い。